• 草むらのヒーローたち

草むらのヒーローたち No.047

草むらのヒーローたち

人生いろいろ、車生もいろいろ。

備後の道路脇で見つけた 朽ちゆく車たち。

凹み、錆び、コケ、ヒビ割れていても美しい 古き時代の宝物。

どんなドラマがあったのだろう…。

誰が呼んだか、草むらのヒーローたちを 小学5年M.Kくんが撮りました。

 

 

 

第47回


草ヒロ(廃車)data ■メーカー:いすゞ BA20(富士重工製ボデー) ■車種:井笠鉄道 路線バス Z7503号 ■年代:1975年 ■場所:岡山県某所


晴れの国らしい陽射しいっぱいの田畑が広がる高原地帯。
車窓右手、山の中腹の一瞬の隙間に息子が何かを見つけてはい、停車ぁ〜!
まだ春の知らせの来ていない静寂に包まれた冬枯れの山に鎮座していたのは、珍しいモノコックバス。
それは長老の風情、少し神秘的でもありました。
往時の姿そのままに黄色で縁取られたえんじ色の帯。
方向幕まわりの鮮やかな水色が目を惹く彼は、井笠鉄道BA20 Z7503号ではないですか!!!
悲しいかな廃業し、もう二度と会えないと思っていたので、会えた喜びひとしおです。
昭和レトロを感じさせる板張りの床や、リベット打ちボデー、乗降口あんどん、旧式の降車ボタン、車内ステッカー類などなど…。
昔の路線バスの“におい”のする郷愁漂う車両は、目立った損傷も見られず、今にも発車オーライできそう。
花形路線を快走していた古き良き時代のキミの勇姿が脳裏に浮かびます。
しかしながらバス黄金時代も終わりを告げ、乗客は減り、空気を運ぶ状態になっても走り続けた頼もしいキミ。
井笠エリアの人たちの生活を半世紀に渡り担ってくれたヒーローでした。
今では全車両がブルーの中国バスカラーに塗替えられ、旧井笠カラーに懐かしさとともに物悲しさを覚えます。
定刻を守る市街地での責任感溢れる路線バス生活を終え、引退後は所縁のあるこの地域で地元の方にもらわれ、農具倉庫としてのんびりご隠居生活。
長閑な山奥で悠々自適な第二の車生を送りながら、ノスタルジックな雰囲気を醸し出す彼なのでした。

101年間ありがとう。井笠鉄道フォーエバー!

地域を支え続けた「井笠鉄道の遺したもの」をなんとか守れないものか?伝えていけないものか?保存できたらいいのにな…。祈るばかりです。

ちょっとうんちく

井笠鉄道 路線バス Z7503号について
・車掌乗務がなくなったワンマンカーの基本である前中ドア仕様で、前ドアは折り戸、中ドアは引き戸の2ドア配置。
・非常口は右側面の中央(後輪の前側)に配置。
・ボデーメーカーは富士重工、シャーシメーカーはいすゞ自動車。
・左後面に大きな網の窓(エンジン通気孔)があるのがいすゞ自動車シャーシの特徴。
・ヘッドライトは丸型4灯で、ライトベゼルはメッキ。
・いすゞのヘッドマークは5角形タイプ(1965〜1974年)のもので、中央のいすゞマークはせきたい流の「いすゞ」の文字を12のさざなみで囲ったデザイン。1975年以降のものは2本の赤い柱バージョンに変更された。
・ボデーメーカー富士重工のエンブレムは1954〜2003年まで使用されたタイプで、カタカナの「フ」をデザインしたもの。
・窓は2段窓で、上下開閉式窓を採用。このスタイルは通称「サッシ窓」と呼ばれたアルミサッシ製。
・前面の行き先表示器は左側に系統幕が独立してついたタイプ。ワンマンバス構造規格で定められていた左側面の中ドア右横にもあった。
・出入り口表示は小窓方式を採用。前中扉脇に設置。
・ボデーは屋根が丸く、外板をリベット打ちしているモノコック構造。
・形式はBA20(1966〜1979年)で全長9150mm×全高3030mm×全幅2450mm×ホイールベース4300mm。エンジンはDA640で出力96kw(130PS)総排気量6373cc。
ちなみにBA10(中ドア専用車)は全長8600mm×全高3030mm×全幅2450mm×ホイールベース4300mm。エンジンはBA20と共通。BA30は全長9650mm×全高3050mm×全幅2450mm×ホイールベース4800mm。エンジンはDA640Tで出力125kw(170PS)総排気量6373cc。

井笠鉄道について
歴史
• 1911年(明治44年)7月1日、 井原笠岡軽便鉄道(いばらかさおかけいべんてつどう)として設立。
• 1915年(大正4年) 井笠鉄道に社名変更。
• 2012年(平成24年)中国運輸局に事業廃止届を提出。バス事業から撤退。

概要
井笠鉄道株式会社(いかさてつどう、通称井笠バス、英文社名Ikasa Tetsudo)は、岡山県笠岡市に本社を置き、かつて鉄道とバスを中心に事業を展開していた会社。2012年10月31日限りで事業を停止し、解散した。
主に岡山県の井笠地方を中心とする西南部と広島県福山市を営業エリアとしていたため、岡山県バス協会と広島県バス協会の双方に加盟していた。かつては鉄道路線を有していたが、1971年に廃止されたため、路線バス・貸切バスのみの営業となった。また、1991年まで福山市赤坂にて、赤坂遊園という遊園地も経営していた。
2012年10月31日をもって沿線の過疎化や規制緩和などによる経営悪化のためバス事業を撤退し、かつ事業継続を断念、破産手続を行って会社清算されることになった。
緊急処置として、株式会社中国バスが社内分社として中国バス・井笠バスカンパニーを設立し、暫定運行を行った。2013年1月16日、中国バス100%出資の井笠バスカンパニーが設立され、路線を受け継いだ。
現在は岡山県南西部おかやおよび広島県東部にて路線バス事業および貸切バス事業を営む両備グループに属する両備ホールディングスの孫会社「株式会社井笠バスカンパニー」。

 

 

 

※懐かしい廃車たち(出来るだけ天然モノ)を小学生撮影隊と一緒にのんびりと探索・撮影・紹介している趣味コンテンツです。
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