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草むらのヒーローたち No.100

草むらのヒーローたち

人生いろいろ、車生もいろいろ。

備後の道路脇で見つけた 朽ちゆく車たち。

凹み、錆び、コケ、ヒビ割れていても美しい 古き時代の宝物。

どんなドラマがあったのだろう…。

誰が呼んだか、草むらのヒーローたちを 小学6年M.Kくんが撮りました。

 

 

♡祝 100記事達成!パンパカパ~ン!♡♡♡

いつもご愛読ありがとうございます♡
読者の皆さまのおかげでなんとこの度!ついに!気がついたら!掲載100回を迎えました♡♡♡
「草むらのヒーローたちNo.100」というタイトルを見て、感慨深くなり、思わずハートマークを連発しちゃいました♡
大自然の中で、長い年月をかけ、朽ちていく草ヒロたちになぜか心惹かれる親子探検隊。
自らも時間の移り変わりの中で自然の一部として生きているのだと気付かされます。
“草ヒロや カーキチたちが 夢のあと”
ここを見てくださる方がいて励みになり、大変ではありましたが、続けてこられました。
改めて、皆さまに感謝です!
そしてこの継続は息子の協力なくしては成し得ませんでした。
本当にありがとう。
これからも親子で楽しみながらお出かけして、更新していきたいです。
さあ、草ヒロスイッチをオンにして出発だぁ!

 

 

第100回


草ヒロ(廃車)data ■メーカー:ダイハツ ■車種:左:ミラ(初代L55V型3ドアハッチバックBタイプ 1980年~1985年) 右:ハイゼット(4代目S40V型5ドアスタンダード後期型 1976年~1980年) ■場所:井原市南部


井原市南部、人里離れた山奥にいきなり現れた畑。
そこで草ヒロコラム100回目に相応しい紅白コンビに遭遇しました。
思いもかけない出会いに心弾み、嬉しさのあまり小躍りする親子がそこにはいました。
出会った時のこの高揚感が堪らなく良い。
私:こぎゃーなことがあるんじゃのぉ。しかし新年早々、いきなり縁起がええで。
パラスホワイト&ジョイフルレッドの見事なツーショットです。
ダイハツを代表する車であるのはもちろんのこと、草ヒロ界商業車部門では欠かすことのできないアイドル的存在の二人。
最近では街中から完全に消え、絶滅危惧種になっている中、コンビで会えるなんて奇跡的で嬉しさ2台、2台!2倍、2倍!の高見山です。
私:こりゃあダイハツ本社に連絡してあげにゃあいけんのぅや。
息子:でも今はそれどころじゃなかろう、ダイハツは。
私:結構鋭いツッコミするじゃんか。
のどかなこの山奥でコンビを組んでおそらく30年超の同世代の二人。
今にもほっかぶりをした愛嬌のある二人の息のあった掛け合いの声が聞こえてくるようです。
右手がハイゼットくんだったら、いつも左手はミラくん。
二人一緒で草むらならぬ『畑のヒーロー』。
これからのシビアな時代を生き抜くコツは?
二人:凹凸コンビだけれどいつも仲睦まじく一緒で別れないこと。そして心からの感謝といつも通りの変わらぬポジション。バックは禁止!!

国や業界の古いモノをふるい落とす規制や、鉄価格の高騰による引取り、ご近所さんらの枯れたやつは異質だと遠ざける気質など…それらを草ヒロたちが簡単に振り切ることは残念ながら想像し難い。美しくおおらかに自然のまま年を重ねていくことは草ヒロたちも人間にも、なかなか難しいことなんです。

一期一会…常なるものなどない。長い間ここにいたヤツでも明日もいるとは限らない。
ともかく愛嬌のある二人に会えたのは、喜ばしいことでした。

ちょっとうんちく


ハイゼットwikipediaより抜粋
ハイゼット(HIJET)は、ダイハツ工業の軽貨物車である。
乗用仕様車についてはアトレーを、ウェイクの商用仕様車についてはハイゼットキャディーをそれぞれ参照。
概要
1960年(昭和35年)11月に発売され、2023年(令和5年)現在新車として販売されているダイハツ車ではもちろんのこと、現行軽自動車の商標の中でトラックは62年、カーゴ(←バン)は61年と最も古い歴史を持つ。なお、英語の綴り字は「HIJET」だが、片仮名表記は「ハイゼット」である。
初代モデルはボンネットタイプのライトバンと軽トラックであったが、2代目モデルから、キャブオーバータイプのバンとトラックに変更される。この経緯は他社の軽貨物車にも通ずる。さらに9代目モデルのバン改めカーゴからセミキャブタイプに変更され、現在に至る。
尤も、ハイゼットトラックは、2010年(平成22年)1月〜2023年(令和5年)12月までの14年連続で、日本国内で販売されているトラック(軽・小型・普通)の車名別年間販売台数で首位の座を維持していた。
2021年(令和3年)10月20日には、グッドデザイン賞の中でも、これから生まれるデザインの手本となりうる、時代を超えたスタンダードであり続ける商品などを表彰する賞である「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」をダイハツ車として初めて受賞した。

4代目(S38P/S38V/S40P/S40V)
トラック
S38P型(360ccモデル) 1971年-1981年
S40P型(550ccモデル) 1976年-1980年
バン
S38V型(360ccモデル) 1972年-1981年
S40V型(550ccモデル) 1976年-1980年
歴代ハイゼットの中で後述する9代目トラックに次いで息の長いモデル。特に360ccは軽免許ユーザーに配慮して厳しい排出ガス規制を何とか乗り切り、5代目や初代アトレーと併売された。
1971年9月
トラックを先行フルモデルチェンジ(S38P型系、1方開きと3方開きの2種類)。
1972年2月
バンをフルモデルチェンジ(S38V型系)。バンのリアドアは軽自動車初のスライドドアとなる。リアスライドドアは両側に設定され、左右どちらからでも荷物の積み降ろしが可能であった。トラックの荷台は全て平床となった。バンのバックドアは先代の横ヒンジドアから上ヒンジドアへと変更され、雨天時も屋根代わりになり、「大切な商品を濡らさない」と運搬業者から好評を博した。さらにパネルバンもラインナップされており、こちらも雨やホコリを嫌う商品を扱う業者に好評だった。4代目もトラックは一方開きと三方開きの2タイプあり、用途に応じた選択が可能であった。
1974年9月
マイナーチェンジ。後に一部のユーザーから「ドラえもんハイゼット」と呼ばれるほど愛嬌のあるフロントマスクも形状変更が行われたほか、360cc2サイクルのまま1975年1月から実施される軽自動車の道路運行法改正に伴う現行の黄色ナンバーに対応した改良を実施。キャッチコピーは「愛着のハイゼット360」。
1976年4月
550cc 4サイクル直列2気筒SOHCエンジンAB型搭載車(S40系)追加。キャッチコピーは「余力のハイゼット550」。
550ccエンジン車はバンパーが大型化され、全長がバンで100mm、トラックで50mm延長されている。
1979年4月
後述のハイゼット55ワイドのマイナーチェンジを受け、フロントグリルが黒色化され、フロントバッジがすべて「HIJET」に統一されたため、前方からは360ccか550ccかの見分けが付きにくくなる。
1980年4月
550cc(S40系)販売終了。軽限定免許では新規格軽自動車の運転は認められないため、360cc(S38系)は、当時50万人ほどいたといわれる軽限定免許ユーザーへの救済策のため、次世代550ワイドが販売を終了した後の、1981年8月まで継続販売されることとなった。


ハイゼット諸元
全長 3090mm
全幅 1295mm
全高1615mm
荷台長 1620mm
荷台幅 1120mm
荷台高 1045mm
ホイールベース 1680mm
トレッド前/後1110/1100mm
最低地上高 150mm
床面地上高 550mm
車両重量 635kg
乗車定員2名
最大積載量 350kg
最小回転半径 3.7m
型式 水冷4サイクル2気筒OHC
総排気量 547cc
最高出力 27ps/5500rpm
最大トルク 4.0kg・m/3500rpm
ステアリング ラック&ピニオン式
クラッチ 乾燥単板ダイヤフラム式スプリング
トランスミッション 前進4段後進1段
燃料タンク容量 25l
サスペンション 前ウィッシュボーン・ボールジョイント式コイルスプリング/後 リジットアスクル半楕円板バネ
タイヤ(前/後) 5.00-10-4PR
主ブレーキ 前ツーリーディング/後リーディングトレーリング

 


ミラwikipediaより抜粋
ミラ(Mira)は、ダイハツ工業が1980年から2018年まで生産・販売していたハッチバック型軽自動車(軽セダン/軽ボンネットバン)のブランド(商標)および車名である。
初代モデル登場の1980年から、同社のエントリー車種にあたるエッセが登場する2005年頃まではスズキ・アルトと双璧を成していた。その最盛期には販売台数を熾烈に争ったことで知られ、1991年には軽自動車としては日本国内通年最多販売台数の28万6,975台を記録した。
輸出向けにはハンディバン(初代の欧州向け他)、クオーレ、シャレードなど別の名前を使用した。またエンジンは1000 ccエンジン(4代目以降、3代目および2代目は800 cc、初代のみ600 cc)を採用している。マレーシアではプロドゥアによって3代目がプロドゥア・カンチル、5代目がプロドゥア・クリサ、6代目がプロドゥア・ビバとしてそれぞれ現地生産されていた。
2018年で生産を終了し、以降は派生車種のミライースがかつてのエッセのポジションを担うほか、ミラシリーズの筆頭車種となった(詳細は当該項目を参照)。ミラ(とミラココア)の生産終了後ダイハツ公式サイトでのミライースのポジション(シリーズ名)は「ミラシリーズ」から「ミライース」に単独化したが、ミラトコット発売に伴い再びシリーズ名が「ミラシリーズ」となった。
また末期の7代目モデルは全高を高く取っており、かつての軽セミトールワゴンに近い位置づけとなっていた。
初代 L55V型(1980年 – 1985年)
・1980年6月
販売開始。1970年登場のフェローMAX以来10年ぶりのモデルチェンジとなる。
当時の名称は「ミラ・クオーレ (Mira Cuore)」で、物品税のかからないクオーレの商用車バージョン(軽ボンネットバン)で、販売の主力であった。トランスミッションは4速MTと イージードライブ(ノークラッチの4速)の2タイプを用意。
エアコンは先代の「マックス・クオーレ」までオプション設定されてきたダッシュボード吊り下げ式のクーラーを廃止、代わってヒーターに組み込めるビルトインタイプをオプション設定する形式に変更された。
・1982年5月
マイナーチェンジ。
車名を現在の「ミラ」に変更。フロントグリルのデザインも変更。2速フルATを追加。
・1983年10月
グロス値41馬力のターボ車および四輪駆動の追加。なお、四輪駆動車は全車、12インチホイールおよび手動式後輪フリーホイールハブ機構を採用しておりターボ車は全車、10インチ用フロントディスクブレーキを採用[する。これと同時にドアミラーの装着が全グレードにメーカーオプションとして設定された。
・1984年5月
ウォークスルーバンが追加される。架装は荒川車体工業。
・1985年2月
10インチアルミホイール、およびフロントディスクブレーキ、エアコン等を特別装備した特別仕様車「ミラパルコ」を発売。旧セゾングループのパルコとのコラボで、全国11ヵ所のパルコ店舗でも実車の展示、販売を行ったり、パルコの情報誌などでも広告展開するなどのキャンペーンを行った。
・1985年5月
上記の「ミラパルコ」同様、10インチアルミホイール、およびフロントディスクブレーキ、エアコン等を特別装備した最後の特別仕様車「ミラキャトレ」を発売。


メモ
・撮影の車は1983年〜1985年のモデルでラジオ、クーラー、カセットのついたBタイプ。1982年にクオーレの名前が落ちてミラになった頃のモデルで、後期型と推測できます。
・4速でデジタル時計もついており、57年排出ガス適合モデルです。
・ライバルアルトの丸目に対抗してミラは角目で勝負。
・イメージキャラクターは岡田奈々(当時21歳)。
・のちにターボ仕様やユニークなウォークスルーバン、百貨店コラボモデルのパルコなどが話題を集めました。
・全長・全幅は当時の軽自動車枠いっぱいのサイズで、室内空間を重視した合理的なボディでした。

ミラ諸元
1982年5月改良型
概要
製造会社 ダイハツ工業
別名 ダイハツ・クオーレ(2代目)
販売期間 1980年6月 – 1985年8月
ボディ
乘車定員 2/4名
ボディタイプ 3ドアハッチバック ウォークスルーバン
エンジン位置 フロント
駆動方式 前輪駆動/四輪駆動
パワートレイン
エンジン AB型 547 cc 直列2気筒SOHC
最高出力 23 kW (31 PS) / 6,000 rpm
最大トルク 41 N • m (4.2 kg • m) / 3,500 rpm
変速機 2速AT 5速/4速MT
サスペンション
前:マクファーソンストラット
後:リーフリジット
車両寸法
ホイールベース 2,150mm
全長 3,195 mm
全幅 1,395 mm
全高 1,370 mm
車両重量 550 kg
最大積載量 200 kg (4人乗車時は100kg)
その他
ブレーキ 前:ツー・リーディング式ドラム 後:リーディング・トレーリング式ドラム
データモデル クオーレMG 4ドア 4速MT(1980年6月発売型)
系譜
先代 ダイハツ・MAXクオーレ

 

 

※ミラ 後期型L55______________No.078
※ハイゼット 前期型S38V________No.033
※ミラ ウォークスルーバン 初代___No.012
※ハイゼット トラック 後期型S40P_No.077
もあわせて見てね!

 

 

※懐かしい廃車たち(出来るだけ天然モノ)を小学生撮影隊と一緒にのんびりと探索・撮影・紹介している趣味コンテンツです。
※内容については正確な情報とは限りませんのでご了承ください。
※撮影場所については、部品取りやいたずら防止のため一切シークレットです。
※掲載後の情報提供や現存確認は一切しておりません。
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※草むらのヒーローとは、旧車専門誌「ノスタルジックヒーロー」の人気読者投稿コーナーに由来する名前で、通称「草ヒロ」と呼ばれています。クルマ好きの間では草むらや空き地、山の中で放置され、ひっそりと朽ちゆく、もう動かないクルマたち(草ヒロ)を眺め、往年の活躍に思いを馳せ、情緒を感じる文化のようなものになっています。
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