木野山神社

疫病との闘い 木野山神社

No.325

 新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、マスク着用や手指消毒、3密回避などの対策が取られています。江戸時代にもそれまで経験したことのない疫病が流行したことがありました。
鎖国によって外国との門戸を閉じてきた日本に、コレラが初めて流行したのは1822(文政5)年でした。あまりの致死率の高さから「コロリ」とも呼ばれるほどでした。
ここ備後国でも1858(安政5)年9月に流行し、死者が多く出たとの記録があります。一旦流行するとなすすべもなく、ひたすら神仏にすがり「蘇民将来の子孫」の札をもらって戸口に貼ったり、祈祷(きとう)を受けたりしました。また神輿(みこし)を担ぐ、豆をまく、唐辛子をつるす、水・酢・白砂糖を混ぜて毎朝飲むなどの対策を講じました。
明治になると通行が自由になり、物資の流通が盛んになったことで、周期的に流行します。明治政府は感染拡大防止のために、徹底した消毒や患者の移動禁止、下水溝の清掃などを民衆に命じています。一方で古くから疫病に霊験があるとされている備中高梁の木野山神社信仰が西日本を中心に盛況を極め、本市でも各地で分霊の勧請が相次ぎました。
多治米町では、1879(明治12)年から1881(明治14)年にかけて勧請したと伝わる木野山神社が多治米東・多治米中・多治米西の3か所に祀られ、今も、それぞれの地域で例祭が行われています。
人々は外出を控えるなど感染の流行が治まるまで耐え忍んできました。しかし今日、この伝染病に対する薬の開発などにより日本ではほとんど患者はなく、それほど恐ろしい病気ではなくなりました。

多治米東木野山神社

多治米西木野山神社

多治米中木野山神社