妙政寺

入封400年記念シリーズ(7)寺社の整備

No.314

 福山藩初代藩主の水野勝成は築城にあたって周囲を芦田川と吉津川で囲み、防衛の要所には寺院や神社を置きました。これを総構えと言います。
城下町の寺院や神社は、先祖供養と疫病や災害から身を守るという信仰と、有事の際に建物と築地塀で城と城下町を守る役割があります。当時の絵図を見ると福山城の東西南北に集中しています。
総構えは町割りや上水道の整備とともに、地域信仰と各方面から侵入する敵に備えることができる完璧な都市計画でした。
吉津川北側に位置する丘陵地の中世の大伽藍があった永徳寺跡には、妙政寺や観音寺、艮神社などが建てられました。これらの寺社群は空襲にも遭わず今も当時の姿を伝えています。
東には笠岡街道から城下町に入る場所に勝成菩提寺の賢忠寺など多くの寺院が建てられ、寺町と呼ばれました。南には安楽寺、西には定福寺などが建てられました。
これらの寺院の多くは勝成の領地であった刈谷(愛知県)や大和郡山(奈良県)、入封後の神辺城下町、福山周辺の村々から移されました。
また信仰心があつい勝成は吉備津神社や草戸明王院の再建にも力を注いでいます。
左から妙政寺、観音寺