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草むらのヒーローたち No.079

草むらのヒーローたち

人生いろいろ、車生もいろいろ。

備後の道路脇で見つけた 朽ちゆく車たち。

凹み、錆び、コケ、ヒビ割れていても美しい 古き時代の宝物。

どんなドラマがあったのだろう…。

誰が呼んだか、草むらのヒーローたちを 小学6年M.Kくんが撮りました。

 

 

 

第79回


草ヒロ(廃車)data ■メーカー:マツダ ■車種:初代タイタン(後期型2トン積低床3方開Wタイヤ3000ディーゼル) ■年代:1971年〜1980年 ■場所:福山市東部


“ぎんぎんぎらぎら夕陽が沈む♪”の「夕日」で有名なニコピン先生こと葛原しげるの生誕地。
田植えの始まった田園地帯を縫うくねくね道で、滅多に見かけることのないレアな彼とすれ違いました。
錆や凹みがあるものの、真新しいナンバープレートを付けてぐんぐんと県道を走る勇姿。
西のタイタン、東のエルフといわれ、かつて平成の初めごろまではマツダのお膝元ということで、地元の建設会社や畜産業、製材所では必ず見かけていたのが懐かしいです。
すぐさま追いかけ峠を上り詰めた先、自販機の並ぶ路肩の脇で運転手のおじさんが用を足した後、接近して声をかけると運よく撮影許可をいただきました。
生き生きとした育苗箱を積み、愛らしい顔でまだまだ現役でいることに大感動。
昭和・平成・令和の時代をまたいで大いに活躍した働き者の彼。
傷だらけの汚れたボディやうるさいエンジン音、ディーゼル臭も味があり、不思議と不快に感じることはまったくありません。
古いものにある特有の貫禄や渋さがあり、今時のトラックより頼もしさや底力、そこはかとない人間的な温かみがあるように感じさせます。
「まだまだ現役よね。調子はぶちええで。くたびれとりゃせんど。
トラックゆうんは、本来モノを運んでナンボじゃけえ。
しっかり走らせてこそ値打ちが生まれるけぇのぉ。」
修理を何度か重ねて走らせているオーナーのおじさんも、ご老体の彼と同じく粋で味がある方でした。
忙しい中スミマセン、感謝!!
働く車っていつ見ても子どもの時のように心に元気をもらえる気がする。
むしろ頑張れって応援したくなる気がしませんか。
「忙しく時間に追われる世の中だけど、焦らずゆっくり着実に…。」時の移り変わりをずっと眺めてきた特別な価値を持つタイタンくんがそう言っています。
クルマの老いも人間と同じ。
ご老体の彼らはこれまでもこれからも、時の流れに身を任せ、この地で元気にやっていくことでしょう。
ご苦労様です。
息子:文句なしの現役草ヒロに認定じゃろう、パパ!

ちょっとうんちく

カタログより
・グッ!と、感じる頼もしさ。充実の、新型タイタン新登場。
・広くて爽やか、キャビンはひときわ居住性をアップ。
・高級装備を機能的にレイアウト、鮮やかインパネ。
・坂道にゆとりの満載走行、強力3000cc86馬力。
・ロングでワイド、積んで差がつく大きな荷箱。
・重積載で真価を発揮、マツダ自身の頑強シャシー。
・運転しやすく積荷に優しい、伝統のメカニズム。
・安全・快適、そして使いやすく。充実の新型装備。
・初代初期型はディーゼルエンジン/青(オリンピアブルー)のボディで、ガソリンエンジン/黄(アポロイエロー)のボディでした。
・社名の由来は英語で「巨人の神」


積載量1.25-4.5t級の小型・中型トラックで、ディーゼル車・CNG圧縮天然ガスエンジン車が存在する。1970年代後半には、電気モーターと併用のディーゼルハイブリッド車もあった。
かつてのラインナップは全てマツダ独自開発車両で、マツダの本社が存在する広島県安芸郡府中町の工場で生産されていたが、現在は自社生産を中止し、いすゞ自動車からエルフのOEM供給を受けている。
2代目タイタンのCMには、手塚治虫原作の鉄腕アトム(1980年 – 1981年のテレビアニメ版)が起用されており、後輪のマットガード(泥よけ)にアトムが描かれていた。
日本国外ではマツダ・Tシリーズとして販売されていた。
初代から3代目までのタイタンはフォードへOEM供給され、主にオセアニア地域において「フォード・トレーダー」の名称で販売されていた他、2000年代後半に北米地域において4代目を基にしたキャビンを装着したトラック「フォード・LCF」が生産されていた。
マツダ独自開発時代の4WD車の特筆すべき点は、このクラスの通常の四輪駆動車だと差動装置の存在によりキャブステップ高及びキャブ全高が上がってしまう事が多いが、タイタンの場合はキャブ内に差動装置を食い込ませる事により上がる事を最小限に抑えている。ただし、食い込ませたことにより前席間が高く盛り上がり、シートを設けることができなかったため乗車定員が2名となっている。(小型のタイタンダッシュを除く)

初代(1971年-1980年)
・1971年8月
Eシリーズの後継として初代発表。エンジンはVA型直列4気筒1,985cc(92ps)ガソリンとXA型直列4気筒2,522cc(77ps)ディーゼルを搭載した。ボディカラーがガソリンがアポロイエロー、ディーゼル車がオリンピアブルーで色分けをしているのが特徴である。
・1972年1月
1.5t積のタイタンライト(タイタンL)を発売。
・1972年4月
HA型2700cc(81ps)ディーゼルエンジンを搭載するタイタン2700を発売。
・1973年8月
使い易さの向上と保安基準対策でマイナーチェンジ。変更点はクラッチ踏力軽減、2系統ブレーキ、助手席シートベルトとヘッドレストの採用、フロントとリアの方向指示器をアンバー色に、フロントの車幅灯をクリアに変更された。
・1973年10月
タイタンシリーズに低床3方開車2機種を追加。従来の低床1方開車の低い荷台の持つ荷役性の良さと両側面からの荷役の利便を考えて低床3方開車としたものである。
・1976年3月
タイタン2t積ディーゼルに荷台の広い幅広ダンプを発売した。
・1976年4月
英国パーキンス社と共同開発のXC型直列4気筒3,663cc(100ps)ディーゼルエンジンを搭載するタイタン3700を発売。低回転域で高性能を発揮した。最大積載量は2t及び3.5t。又、排気ブレーキ、チルトキャブ、オーバーフェンダーを採用し、パワーステアリングが標準装備となった。
・1976年6月
タイタンライトに低床後輪ダブルタイヤを採用したワイドローを追加。後輪タイヤに従来よりも3インチ小さい13インチのダブルタイヤを採用し、低床でフラットな荷台を実現している。
・1977年5月
マイナーチェンジ。フェイスリフトと共に、エンブレムをマツダのロゴマーク(小文字のmをアレンジした丸型のマーク)から「MAZDA」の文字へ変更。ディーゼルを2700ccから3000cc(86ps)へアップ。テールランプを、前期型では単独1灯だった後退灯を2灯に増設してテールランプと統合。CMキャラクターにボンゴシリーズと共に山城新伍を起用。
韓国の起亜自動車でも全く同じ名称で1997年頃までライセンス生産されていた。

wikipediaより抜粋


主要諸元
車名・形式 マツダ・TA3
全長(mm) 4685
全幅(mm) 1690
全高(mm) 1990
ホイールベース(mm) 2495
トレッド(前)1390 トレッド(後)1400
最低地上高(mm) 195
荷台内長(mm) 3100
荷台内幅(mm) 1600
荷台内高(mm) 440
床面地上高(mm) 825
車両重量(kg) 2835
最大積載量(kg) 2000
乗車定員 3人
エンジン形式 HA型水冷直列4気筒ディーゼル VM分配型噴射ポンプ 渦流室式燃料室
総排気量(cc) 2977
最高出力(PS/rpm) 86/3600
最大トルク(kgm/rpm) 21.0/2000
燃料タンク容量(l) 60

 

 

 

※懐かしい廃車たち(出来るだけ天然モノ)を小学生撮影隊と一緒にのんびりと探索・撮影・紹介している趣味コンテンツです。
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