- 歴史散歩
築城時の天守を支えた 福山城旧天守礎石
1945(昭和20)年8月8日の空襲により焼失した福山城の天守は、城郭建築の集大成といえる完成された構造で築かれていました。
五重五階地下一階の層塔型で、一階部分が9間×8間(約20m×18m)あり、東側には二重三階の付庇(ひさし)を設けた複合式の天守でした。
天守の中心を支える心柱と身舎(もや)を形作る柱は、地階から最上階まで位置を揃えて二階ずつの通し柱で立ち、これらを太い梁(はり)でつなぐことで、構造的に安定した強固な造りとなっていました。
この天守の柱を支えていた礎石は今も見ることができます。1966(昭和41)年に天守を再建する際、天守台に残されていた礎石は同じ配置のまま180度向きを変えて、天守の北側に移され、保存されました。
心柱と身舎柱を支えていたのは一辺約40cmの19個の石です。心柱のために中央に1つ、残り18個が身舎柱用に四角形に配置されています。これらの石は上面を平たく滑らかに整え、地上に露出するように据えられ、五階地下一階の天守を支えていました。身舎を囲む廊下を支えていたのは一辺約30cm、小さめの25個の石です。やはり上部を平滑に整え、身舎の礎石の外側にぐるりと配置されています。
礎石が移された場所からはこの度の修理により鉄板が張られた天守の北側を見ることができます。福山城の最も古い礎石と、美しく修復された天守を同時に見てみませんか。
<天守の北側に保存・展示してある礎石>
<福山城旧天守礎石位置図>
INFORMATION基本情報
名称 | 福山城旧天守礎石 |
---|---|
住所 | 広島県福山市丸之内1丁目8−39 |
※最新の情報とは異なる場合があります。
ご了承ください。
同じカテゴリーの記事
-
未来に歩み出す姿 阿部正弘の像
-
地下に眠る築城時の遺跡 入川(いりかわ)
-
鉄壁の防御の構え 福山城天守北側鉄板張り
-
福山城東側の威容を語る 東坂三階櫓(やぐら)跡と多聞櫓跡
-
瀬戸内の水運5 中・近世山陽道
-
今も水を湛える 黄金水
-
築城当時から残る本丸の正門 福山城筋鉄御門
-
瀬戸内の水運4 市史跡イコーカ山古墳
-
火災から文化財を守る 文化財防火デー
-
今も時を告げる 福山城鐘櫓
-
福山城の歴史を見守り続けた 城内の樹木
-
瀬戸内の水運3 御領遺跡
-
瀬戸内の水運2 津之郷谷
-
二度の金属供出を免れた「明圓寺銅鐘」
-
瀬戸内の水運1 松永湾を見守る首長の墓
-
葛原家と縁のある 福寿会館
-
近世水道の分水界 本庄村二股
-
福山城入川の存在を示す 名もなき橋
-
かつて海であったことを物語る蛙岩
-
邪鬼を払う 福山城の鬼門守護
-
今年の干支牛を祀る 大山社
-
夜空を照らす豊穣への祈り お月さん
-
疫神・悪霊を防ぐ 塞神
-
日本最古のマスク「福面」の考案者 宮太柱(みや たいちゅう)